歴史から見る水族館

 日本の水族館の起源は、1世紀以上前にまで遡る。明治15年9月20日に、東京の上野動物園の一角にできた「観魚室(うをのぞき)」と呼ばれる展示施設が最初が最初だ。当時の仕組みは、照明がなく暗い館内の小窓から、外の光が差し込む明るい水槽を見るようになっていた。金魚やフナ、コイ、テナガエビサンショウウオなどの淡水に棲む生き物を鑑賞することができたという。広さは17坪と現在のものに比べると相当狭く、水槽の数も15と少なかったが、大きな話題を呼んだ。明治18年には、日本で2番目になる「浅草水族館」が誕生。その翌年にも、東京帝国大学の理学部が主に研究目的のため、三浦半島の臨海実験所に水族館を設立した。
 こうして続々と建てられていく中、水槽内の水から汚れを除去し、綺麗になった水を再び戻す循環型ろ過設備が登場。これにより、いよいよ海水魚を飼育できるようになったのだ。この装置をいち早く導入したのが、明治30年に作られた、兵庫県の「和田岬水族放養場」である。淡水魚に加えて、20の水槽で53種の海水魚を展示していた。たった3ヶ月間だけの営業だったが、初めて海の生き物を見られるということで、毎日入館者の行列ができるほどの大評判であった。
 1970年頃になると、イルカやシャチ、アシカといった海獣のショーを行う「マリンランド形式」の館が現れる。今では、彼らのパフォーマンスを見るために、多くの人が来館する程の人気を集めている。だが、その歴史はまだ浅いのである。
 そして現在、知識や技術の向上によって、かつては飼育困難だった生き物も展示可能になった。また近年、環境保護感情の高まりと共に、生き物だけでなく、その生息状況も再現して見せているところが増えてきている。そのため来館者は、生き物たちへの関心と理解を、より深められるようになった。
 魚を見る娯楽として成立した日本の水族館。それは今や、世界の自然環境を、楽しみながら学べる場へと変化を遂げたのである。(須野原遼)