新聞のよさを教授に聞く

 活字という形で情報を伝える新聞と、私たち学生はどのように付き合えばよいのか。政治学科の佐々木毅教授にお話を伺った。
 現在、新聞を脅かすメディアとして、インターネットの存在が目立っているが、佐々木教授は次のように語る。「インターネットは大変便利ですが、もたらす情報は断片的なものでしかありません。物事を総合して考える契機となるのは難しいでしょう」。断片的な情報、いわばデータを受け取ることだけが、私たち学生の取るべき道ではないのだそうだ。
 佐々木教授は、確かにデータは学問研究にとって命だという。1980年代〜90年代にかけ、政治資金について研究していた佐々木教授。その頃、政治資金の実態のデータは、まったく公開されていなかった。「あの時は本当に困りました。まず、資料はデータ化されなければなりません」
 そう語る佐々木教授だが、決してデータを盲信してはいけないと警告する。「例えばですが、支持率何%という情報だけでは何にもなりません。データは誰かが作ったものなんです。データを取ろうとするその裏には、メディア側の何らかの意図があります。事実の確実性については、冷静に考えてみなければなりません」。そこで最も必要となるのは、自分で物事を分析できるようになることだという。「その苦労は、インターネットが登場した現代でも変わりません。大切なのは、データに対する問いかけの内容なんです。新聞は、データを基にして『自分が何を問うべきか』ということを考えさせてくれます。活字メディアである新聞を読めば、物を分析する力が養われますよ」
 佐々木教授は若い頃、新聞をよく活用したそうだ。「丹念に集めておくと、論文のイメージを作るのに役立ちました。活字の特長は、後で見て反芻することができることですから」。だが、現在の学生は新聞を読まないと感じるそうだ。佐々木教授は、学生のうちに新聞はよく読んでおいた方がよいと忠告する。「新聞を読むということは頭で考えるということです。そういった意味では、学問と重なります」。一方で、世の中の流れを知るためには、テレビニュースを見るという方法もあるが、それは中途半端な方法だという。「テレビのニュースは間延びしていますね。分かった気にさせているだけです。新聞は、広げただけで項目を見せてくれるので、一気に情報を集めることができますよ」
 インターネットをはじめとする、ほかのメディアにはない特長を持っている新聞。佐々木教授は、現在新聞4紙を購読しているという。学問を学ぶという点では、佐々木教授と変わらない私たち学生にとっても、新聞は切っても切れない関係に違いない。取材の最後に佐々木教授は、学生に対してメッセージを送ってくれた。「活字メディアを軽視すべきではありません。読む癖をつけるのと同時に、読んで分かって人に説明できるぐらいまでの知識をつけてください」(植木太)