水上のパッサカリア 愛した女が残した謎

 先日、第10回日本ミステリー文学大賞受賞作が書籍化された。それも、名だたる選考委員達が大絶賛した注目の一冊だという。それならば読んでみようじゃないの、とさっそく購入。
 舞台となるのは、東京から5時間ほど離れたQ県の田舎町。己に関する全ての過去を封印し、自動車整備士として暮らす男、大道寺勉が本作の主人公だ。彼は、5ヶ月前に恋人の奈津を不慮の事故で亡くしていた。そんな折、かつての裏稼業時代の仲間が大道寺を訪ねてくる。彼らは、奈津の死は事故ではなく、大道寺を狙った人間による謀殺だと言う。奈津の死を完全に受け入れきれていない大道寺は、複雑な心境のまま、再び裏社会の仕事を請け負うことになる。  
 そして、絡まりあう数々の謎――大道寺の隠された経歴、懇意にしていた獣医の他殺死体、裏稼業の仕事、奈津の死の真相……。本書はハードボイルドとしてだけでなく、ミステリーや恋愛小説としても楽しめる。このような奥行きのある作品を生み出せたのは、筆者の緻密な構成力と、丁寧な人物造形のためだろう。その中でも特に秀逸なのが、大道寺と、生前の奈津との幸せに満ちた日常生活の描写だ。また、奈津にとって我が子同然だった愛犬ケイトも、作品の殺伐とした雰囲気をやわらげる重要な役割を果たしている。
 さて、本書は大道寺の一人称で語られているが、そこに彼の感情の起伏はあまり読み取れない。風に揺れる水面のように掴みどころのない大道寺の語りは、パッサカリアのリズムを彷彿とさせる。また、読了後、表紙の写真を眺めると、ラストシーンの大道寺の独白と重なり合い、不覚にもホロリとくる。行間や短文に頼らない重厚な文章にも、大満足の一冊だ。(潤)(海野碧著 光文社 税込1470円2007刊)