国際理解を目指して

 今回は、日本語日本文学科の村野良子教授に学生時代の思い出を語っていただきました。

波乱のスタート
実は、私が大学生だった頃は、ほとんど授業がありませんでした。というのは、入学前から学生が大学本館を占拠していたからなんです。そのため、7月に延期された入学式まで自宅で通信教育を受けるよう言われました。授業が始まっても、構内では70年安保闘争に向けての立て看板や演説があちこちで見受けられたものです。その後大学は授業再開のため、主要な建物をジュラルミンの塀で囲み、学生運動派を中に入れないという措置を取りました。私の通っていた国際基督教大学の学生の多くは寮に入っていましたが、寮は学生運動の拠点になり、運動に参加しない学生は追い出されました。

根底になった日々
 授業こそ少なかったものの、学生生活の中で得たものは決して少なくありません。全学あわせても1200名足らずの小さな大学でしたから、みんなが顔見知りでした。寮では、1年生から4年生までが共同生活をし、色々な国からの留学生も一緒で、寮会も同時通訳付きでした。教員のご家族も構内に住んでいて、家庭料理をご馳走になりながら、お話をする機会も頻繁にありました。キャンパスが生活のすべてでした。そこでの出会いが、今の私の根底になっていると思います。学生時代の経験から学んだことは、お互いを知るということの大切さでした。時間と体験を共有し、議論し、理解しようとすることです。それは個人間だけでなく、国と国の間にも共通していることだと思います。私が日本語教育の道を志したのも、対話を通した理解の最前線で小さなきっかけ作りをしたいと思ったからです。時間と労力がかかりますが、知ることが、相手の立場を理解することの手助けになるのだと信じています。(取材・構成 美馬香織)

PROFILE
 1998年国際基督教大学比較文化研究科において博士号を取得。モナシュ大学(オーストラリア)、国際基督教大学を経て2000年より現職。