日本の涼 浴衣の歩み

 夏の風物詩、浴衣。現在では涼しげなお洒落着として定着し、鮮やかに夏を彩っている。しかし、実は長い歴史の中で様々な変遷を経て来た、ドラマチックな衣服なのである。
 浴衣の起源は、およそ一千年前に遡る。平安時代の貴族たちの入浴スタイルが、その始まりだ。といっても当時の入浴は、現代の私達が「お風呂」と聞いて思い浮かべるものとは全く異なる。大きな釜に湯を沸かし、その蒸気を密閉した浴堂へ取り込むという、サウナのような蒸し風呂形式だったのだ。入浴時に、貴人が蒸気による火傷を防ぐため身に付けていた麻の着物。これが、現在の浴衣の語源にあたる「湯帷子(ゆかたびら)」である。
 この湯帷子が、安土桃山時代頃になると徐々に簡略化される。入浴中ではなく湯上りにまとい、汗や水分を拭き取るための「身拭い」と呼ばれるようになるのだ。今でいうバスローブの役割である。この頃までは、専ら麻の白無地の単衣が用いられていた。
 そして江戸時代後期、それまで高級品だった綿の生産が豊かになると、浴衣の素材は次第に麻から綿へと移り変わる。さらに、銭湯の登場で、湯船に全裸で入浴する形式が出来上がった。すると、風呂屋での湯上りのひと時に、浴衣を着て涼む習慣が庶民の間に浸透していく。呼称もこの頃から、「湯帷子」を略して字を当てた、「浴衣」と呼ばれるようになった。
 普通の着物よりも着付けが簡単で、湯上りにさっと素肌の上に着てくつろげる。そんな浴衣の手軽さは、江戸の人々にとって好ましいものだったに違いない。浴衣はやがて、湯上りだけでなく、そのまま外へ着て出歩ける外着へと変化する。盆踊りや花見に揃いの浴衣で出掛けることが流行し、それに伴って華やかな文様が生まれたのだ。また、歌舞伎役者が舞台で着た柄を、庶民が真似ることもあったという。まさに、「ゆかた文化」が江戸に花開いたのである。
 明治期になると、全国的に浴衣は夏の普段着として定着する。しかし、第二次大戦後の西洋化の流れの中では、浴衣も廃れてゆく風潮にあった。だが、色や柄にバリエーションの豊富なものが現れると、再度その価値が見直され、今に至っている。
 このように、時代によって姿を変え、親しまれてきた浴衣だが、その魅力は由来だけに留まらない。浴衣には、じめじめと蒸し暑い日本の夏を快適に過ごすための、先人たちの知恵が詰まっているのだ。例えば、古典的な浴衣の色は白地と紺地である。白地は熱を吸収せず、紺地は染料の藍の香りに虫除けの効果がある。また、糊のきいた着物は風通しが良く、汗も乾きやすい。日本人のどんな体型にも合ってくれるのも、親しみの持てるところだ。
 浴衣の持つ清涼感は、時の流れの中で形づくられた、日本人の浪漫の結晶だったのだ。今また新たに、浴衣で涼をまとい、日本の夏を粋に愉しみたい。(市川美奈子)