求められる真の知恵

 昨年11月、静岡県で「第39回技能五輪国際大会」が行なわれた。22歳以下の選手たちが様々な種目で己の製造技術を競うこの大会は、各国を舞台に隔年で開催されている。今回の大会には、日本から51名の選手が出場し、見事16種目で金メダルを獲得、前大会に続き総合優勝となった。かつて圧倒的な強さを誇っていた日本は、この30年間、優勝を逃し続けてきた。その長い冬の期間の末に掴んだ、この2大会連続優勝は、日本が「技術大国」の称号を取り戻しつつあることの証明になるはずだ。
 ところで、大会の様子をテレビで観ていたところ、ある日本人選手が制限時間の半分を構想に費やし、その後、破竹の勢いで誰よりも完成度の高い作品を造り上げる一幕があった。彼は、自分が持つ知識と技術を最大限に駆使し、速さと丁寧さを兼ね備えた仕事をしたのである。その選手に限らず、出場した全ての選手は、綿密な設計と時間配分を行なった上で、一から何かを造る能力を備えていた。それは、いわゆる「ものづくり」の力である。だが昨今、日本国内では、若年層の「ものづくり」への意欲低下が大きな問題となっている。それが要因で、次世代の技術者が不足しているのだ。
 もちろん、この問題は技術者になるか否かに関係なく、我々一般の学生も決して看過すべきものではないだろう。衣食住に困窮した経験のない多くの若者にとって、「もの」を造る機会はほとんどない。誰かが造ってくれた法律や制度に守られ、誰かが提供してくれる食料や生活用品を享受して生きているのだから当然である。そのため、我々は「もの」が造られていく過程を知ろうとはせず、また何かを造ろうとも思わないのだ。しかし、そのような受け身の考え方は、家や学校の外に広がる社会においては通用しないに違いない。
 私は「ものづくり」のためには、2つの力が必要になると思う。それは、自由な発想を展開する「想像」の力であり、その案を造形し世に送り出す「創造」の力である。これからの日本をより発展させるために、そして国際的な場で外国人と対等に渡り合うために、我々が持つべき真の「武器」とは何なのか。それは、恐らく語学力でも学歴でもない。それぞれの人生で学んだ確かな知識に裏打ちされた、「ものづくり」の能力なのである。
(日本語日本文学科3年 賀来潤恵)