心身ともに美しい装いを

 朝の満員電車で、化粧をする女性の姿をしばしば見かけることがある。携帯電話の使用マナーの悪さや、優先席に我が物顔で座る健常者などは頻繁に問題として挙げられている。一方、電車内での化粧を問題視する声は、これらと比べると決して多くはない。しかし、電車の中という狭い公共の空間で、他人が化粧をしている場面を見せられたり、化粧品の匂いを車内に充満させられたりするのを不快に感じている人は少なくないはずだ。
 とはいえ、何も化粧そのものを非難しようというのではない。化粧には良い面も多々あるからだ。現に、単なるお洒落や身だしなみの一環としてだけでなく、病気の治療に役立っている例もある。ある病院では、高齢の女性が化粧をするイベントが恒例化されているそうだ。それを始めてから、寝たきりだった女性がリハビリに積極的に取り組んだり、自分でトイレに行くようになったりと様々な変化があったという。化粧は、医療技術の発達だけでは賄い切れない、精神面の治療の補助役を担う一つの手段にもなっている。
 一般に、私たちが化粧を行うのは他人の目を気にしてのことが大きいだろう。化粧に限らず、私たちは多かれ少なかれ周りの目を気にして生活している。『人は見た目が9割』という本がベストセラーになったことも、外見への関心の強さを如実に表しているのではないだろうか。もちろん、相手への印象を気にして、化粧など外見を良く見せる努力をするのは悪いことではない。ただ、私は外見を取り繕うことが全てであるとは思わない。たとえ「人は見た目が9割」であるとしても、残り1割の内面が、相手との関係を良くも悪くもすることだってある。つまり、外見が良ければ全て良し、とはいかないということだ。
 化粧によって自分に自信が持てたり、前向きな気持ちになれたりするのは素晴らしいことだ。けれども、だからといって公衆の場での化粧を手放しに肯定することはできない。周囲の迷惑を顧みないその行為は、他人の気持ちを無視した行為ではないだろうか。せっかく化粧をするなら、単に外見を美しく見せるだけでなく、相手の気持ちを汲むことのできる内面の美しさも同時に意識してほしい。そうして心を磨くことによって、きっと外見もより美しく輝くだろう。(日本語日本文学科2年 美馬香織)