受け継がれる感性の行方

 落ち葉が舞い、枝だけになった木を見て冬を感じる。桜が咲き、木々に緑が芽吹くのを見て春の訪れに気づく。日本には四季があり、季節に応じた自然を見て、それを風情だと思う感情を人々は持っている。それは古典や短歌、俳句などにも見て取れる、昔ながらの感性だ。これは、日本人が築いてきた独自の美的センスといえる。
 しかし現代では、風情を感じる感性が薄らいできているのではないか。この数十年で、都会には高層ビルが次々と建設され、道はアスファルトで固められてしまった。その結果、街中の緑は減り、子どもたちは自然を身近に感じることが少ない。そうしてそこで育った彼らは、風情という感じ方を失いつつあるように思える。それは、こんな環境にしてしまった大人の責任であり、憂慮すべき問題だ。
 この問題に対し、子どもたちを少しでも自然に触れさせようと、「自然教室」と銘打って活動する団体も存在する。子どもたちに自然に囲まれた生活を体験させ、豊かな感性を身につけさせることが目的の一つだという。豊かな感性は豊かな人間性を生み出すことにつながる。心にゆとりを持つことができれば、自ずと今まで気づかなかったことも見えるようになるだろう。「風情を感じる」とは、このようなゆとりを持つことで気づける、繊細な感情なのではないか。

  • もうひとつの風情

 もちろん、風情とは自然を見て感じるものだけではない。例えば、庭先で鳴り響く風鈴の音や、縁日の夜店に感じることもある。それらに共通することは、どこかノスタルジックな雰囲気に包まれているという点だ。
 近年の世間では、昔を懐かしみ、過ぎ去った時代に美しさを見出す傾向がある。最近では、『Always 三丁目の夕日』という映画が、好調な興行収入を記録した。この映画の舞台は昭和30年代。その時代に子どもだった人々は、今では60代だ。だが、この映画はそれ以外の世代にも広く支持されている。舞台となった時代を実際には生きていない人々の心にも、懐旧の情を抱かせたようだ。それはこの時代に、現代にはないノスタルジックな風情を感じたことも一因だろう。
 現代を生きる私たちは、自然や懐かしい雰囲気を持つものに風情を感じている。では、これから数十年経った後はどうだろう。未来の人々は、今と変わらず風情を感じ続けるのか。それとも、言葉自体が死語となり、消え去ってしまうのか。時代が変われば、人の心も変わる。しかし、千年以上の昔から日本人に受け継がれてきた、風情という感じ方は失われなかった。この日本に古くから残る美的センスを、これから先も持ち続けていきたい。現代においても、ふとした瞬間に風情を感じる機会は多くあるだろう。問題は、そのことを意識する人が減りつつあることだ。せっかくの情趣を、美しいと思えなくなるのはもったいない。忘れられつつあるこの感情の大切さを、再認識してほしい。(政治学科2年 新原大輔)