儚くも逞しい女の生き様

 ここ数年、「大奥」が女性の間で絶大な支持を得ている。2003年にフジテレビ系で放送されたこのドラマは、翌年、翌々年にも「大奥〜第一章〜」、「大奥〜華の乱〜」とシリーズ化されていった。そして今年、これらの集大成として「映画『大奥』」が上映された。これらに加え、テレビドラマ版・映画版共にサイドストーリーも放映されるほどの人気を誇る「大奥」。何故これ程にも女性、それもとりわけ若い世代の女性を魅了しているのだろうか。それは「大奥」というものが、数多くの女性たちを惹きつける要素を持ち合わせているからだ。
 これらの物語で扱うテーマは、既存の時代劇に多く見受けられるような勧善懲悪ではなく、彼女たちが抱く感情そのものである。善悪が明瞭としていない故に、視聴者は様々な見解を得ることができる。また、主人公たちも、武士などの権力を持つ強き者でなく、政治的策略などのために利用された力なき者たちなのだ。心ならずとも、側室となってしまったために他の女中たちから目の敵とされてしまう者。己の立場や家族などの守るべきもののために他者を陥れる者。このように誰しもが、己の運命に翻弄された被害者であり、その運命に抗い自身の擁護に走るばかり、時に加害者とさえなる。弱き者が「大奥」というしがらみの中で生き抜く覚悟を決めて戦っていく様を描いている点が、今まで時代劇に馴染みのなかった女性たちにも人気を博している理由であろう。

 大奥と現代女性に共通する課題
「大奥」という階級社会の中で、己の美貌と知恵だけを武器に、立身出世を望む奥女中たち。そして、絢爛豪華な表向きの姿に隠された、驕慢と嫉妬。これらの感情が渦巻くのは、なにも「大奥」の世界に限ったことではなく、現代社会における女性間にも言えることである。女性も男性と肩を並べて働くようになった現代ならば、水面下での感情のぶつかり合いは、熾烈さを増さざるを得ないのかもしれない。
 昔と比べ、男女平等の世の中になったといっても、女性が出世をしていくためには、まず女性の中の上層部に登りつめなくてはならない。そこで初めて、男性と戦うことができるという制度が、悲しいかな、今なお暗黙の了解として存在している。このような時代に生きる女性だからこそ、陰謀や策略の交錯し、愛憎劇を繰り広げる「大奥」に親しみを感じるのだろう。
 無論、現実の女性たちは、駆け引きや打算まみれの世界を生きているのではない。それでも時には、嘘や裏切り、権謀術数などが錯綜する、生き馬の目を抜く油断もすきもない過酷な局面に立つこともある。だからこそ、あらゆる感情のるつぼである「大奥」をひたむきに生きる女たちの姿は、現代女性の琴線に触れているのだ。
 幾重にも絡み合う複雑な人間関係の中で、一筋の希望をよすがとし、健気に生き抜く「大奥」の女たち。現代を生きる女性たちもまた、彼女たちと同様に辛く厳しい社会で勝ち残っていかねばならいないようだ。
                                      (英米文学科3年 掛川千尋