イベント化された母の日

 先月の第2日曜日は母の日だった。この日が近づくと母の日にまつわる催しが至るところで行われ、街は人で大いに賑わう。しかし近年では、各企業がここぞとばかりに息子や娘たちの購買意欲を駆り立てようと、不必要にイベント化を推し進める風潮があるのも事実だ。そんな行為は商品の購入を煽るだけで、母の日の形骸化を引き起こしているだけではないか。
 現在世界中で祝われている母の日の歴史は古く、欧米で端を発したと言われる。諸説あるが米国で知られている例を挙げると、ある教師が亡き母をいつまでも心に留めておく大切さを教えるために生徒とその母親を集め、彼女の母が好んだカーネーションを配るというお祝いを行ったことに由来するそうだ。この風習がアメリカ全土に広まり、最終的に母の日が制定されるに至った。そして、日本には戦後に菓子業界の広告でその名が一般的になったとされる。だが、戦前に母を題材とした短歌や童謡、流行歌が多かったことから、この日が設けられる以前より日本の家庭は母子の結びつきが強かったと思われる。そのため、母の日も自然と馴染むはずだった。では、なぜ今日のように形骸化してしまったのか。
 
漱石から学ぶ母の日のあるべき姿
 この答えの道しるべとなるものを、私は夏目漱石の『現代日本の開化』の中に見つけた。これは、漱石が明治期に和歌山で行った講演録を自身でまとめたものだが、日本人が文明開化によって諸外国から受けた影響をやや批判的な立場から述べている。「我々の遣ってゐることは内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云うことに頓着するのである」と語った漱石。その一節に見て取れるのは、風習が生まれた歴史的過程がないところに諸外国の文化を慌しく取り入れた場合、表面的に真似をする形で輸入されるということだ。母の日においても、産業界の主導による普及であったため、母を思うという精神的な面よりも、どのようなプレゼントを渡すかという物質的な面が先立って理解された。こうして日本の母の日は商業性ばかりが目立つような空虚なものになったのだろう。
 この前の母の日に報道されたニュースで、今回触れた話題の答えを見出せそうなものがあった。ある中国人女性が恵比寿に住む娘に会いに来日したが、朝の散歩中に道に迷ってしまったという。財布も連絡手段も持っておらず言葉の壁に悩んだが、途中で様々な人に助けらながら数日後に帰館した。その日が母の日ということもあり、娘との再会が婦人にとっての最大のプレゼントとなったが、彼女は道中で自分を助けてくれた人々の優しさが何よりも嬉しかったと話している。
 母の労をねぎらうために、どういった思いを届ければ喜んでもらえるか。風習の有無や国籍の別があっても、肝心なのは相手の気持ちになって感謝の言葉を掛けること。その上で遊び心のある贈り物をすれば、日本の母の日はさらに魅力的な日になるはずだ。(経営学科3年 石崎知世子)